なぜ朝鮮の方が日本に多いのか

朝鮮戦争のときに李承晩による韓国民の大虐殺事件の結果、済州島を中心に日本に難民となって逃げてきた朝鮮人の方々の末裔です。

当時、日本政府はこの密入国してきた韓国人をもてあましました。

ですから日本は、韓国に対し「まとめて逮捕して韓国政府に引き渡したい」と申し入れました。

ところが韓国政府は、拒絶します。

つまり、この時点で、在日韓国人は、韓国から棄てられたのです。

 

日本政府はやむを得ず、虐殺からの逃れてきた朝鮮人達に「25年」の滞在許可を与えました。

 

ところが25年後に日本から韓国に引き渡されれば、そのときに自分たちは韓国政府に殺されるかもしれないと考えた在日韓国棄民は、知恵を絞りました。

そしてサンフランシスコ講和条約に「戦前から滞在している朝鮮人、台湾人には無条件で日本での永住権を与える」と定められていることを悪用して、「我々は戦前強制連行されてきた朝鮮人である」と名のり出したのです。

 

ねずさんのひとりごと

 

保導連盟事件は、共産主義を支持した人々が転向して国家に忠誠を誓うとした保導連盟というものがあり、それが朝鮮戦争でにわかに赤狩りをするようになった韓国政府にスパイ容疑での虐殺リストとして使われた事件です。

保導連盟事件を中心に一連の事件で100万人以上が虐殺されたと言われています。

済州島のは、その流れのうちでも初期の事件で、4.3事件と呼ばれるおよそ7万人が虐殺された事件です。

このときに逃げてきた人々が後の虐殺から逃れるために半島の人々を手引きしたことから、済州島出身者を中心として朝鮮人街が生まれているケースが多いのです。

日本政府はこの密入国してきた韓国人たちをもてあまし、まとめて逮捕して韓国政府に引き渡すと申し入れています。

そして、韓国外務省はそれを拒絶している回答を残していました。

つまり、二国間でもてあまされた政治棄民だったわけです。

そして、日本政府は虐殺からの逃れてきた半島の人々に対して25年の滞在許可を与える決定を出します。

これに過敏に反応した在日の人々は、知恵を絞った結果、「我々は戦前強制連行されてきた朝鮮人である」と名乗ることにしたのです。

これは、25年後に引き渡されて殺されることが明白だったために、生き残るための知恵でした。

 

日本は、サンフランシスコ平和条約で「戦前から滞在している朝鮮人・台湾人に無条件で永住権を与えること」と定められているためです。

しかし、彼らには戦前から滞在していたと証明するものはありません(何せ、実際済んでいなかったのですから)。

だから「強制連行なんだから、証拠や書類なんて我々が持っているわけがない! 日本政府が無理矢理連れてきたのだから謝罪しろ!」と無理矢理な理屈でゴネたのです。

日本政府としては、強制連行された朝鮮人は二百数十人しかいないことを知っていますから文句のひとつもつけたいところですが、敗戦後の国際世論の目が光っている状態で、「日本はサンフランシスコ平和条約にけちをつけた」と言って触れ回られたくないために、渋々黙認するようになったのです。

彼らは日本政府を非難することで生き残る道を作ったので、その方針がそのまま引き継がれるようになっていきました。

 

yahoo知恵袋

 

 

保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)とは、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人など、少なくとも20万人、最大120万人を大量虐殺した事件。

 

保導連盟事件

 

 

千載くもらぬ

歴史は古し